3月11日という日の話

8年だか経ったらしいですが3月11日は3月11日なんですよね。震災の日のことを書いてみることは今までなかったので少し書いてみようかなと思います。

震災の日

その頃は山形の高校生で、あの日は高校2年生の3学期最終日でした。学年集会を講堂みたいなところでやっていて、「3年0学期!」「春講習!」など今となっては懐かしい言葉を聞きながら、なぜか保健体育の期末テストが返却されている時に緊急地震速報の音が所々から聞こえてきました。うちの学校は授業中は電源オフにしてなさいという校則だけど、つけていた人の携帯が鳴っていたという感じでした。

とにかく長くて大きな揺れが続いて、なにかが倒れたり壊れたりということはなかったけど電気は止まって、とりあえず集会は終わりになって、とりあえずみんな何とかして帰れということになって、その辺でこの地震震源とか、電車が止まっていることとか、すごい津波が起きたこととかを携帯のワンセグを通じて知ったのでした(その頃はツイッターをしてはいなかった)。

こんだけのことがあってなお、僕は次の日に仙台に行く用事があって、それどうなるのかなあみたいな事を考えていました。今考えるとどうしようもない大バカ者なんですが、それくらい何が起こってるかについて把握できていなかったのは確かでした。

携帯電話がかなり繋がりにくくなってはいて、電話できた覚えはないんだけど母親は車で高校まで来てくれて、まだ16時前後のはずなのに嫌に暗い道を帰りました。信号も動いていなくて、交差点の真ん中に人が立っていたり、譲り合って通っている様子を見て、経験したことがないような異常なことが起こっているんだとやっと実感してきたのを覚えています。

 

震災のちょっと後

そのあと5日くらい停電していて、1ヶ月くらいは電車も動かなくて、受験勉強もしなきゃならない時期に入っていたということは覚えているんですが、ほとんど記憶にありません。唯一記憶にあるのは、震災後10日くらいの時に母親の実家である神奈川県の小田原まで車で向かったことです。避難するとかじゃなくて、祖母の具合があまり良くなかったのでお見舞いにいったんだと思います。そこでの記憶もほとんどないんですが、ガソリンを必死に集め回らなきゃいけなかったこととか、国見サービスエリアからの静かで寂しげな景色はずっと記憶に残っていると思います。その後の高校生活は、何か被災地の為に何かしたいなという思いを持ちながらも終わっていきました。それから楽天の嶋選手のスピーチ、ほんと心に響いた。これだけでも一生応援してもお釣りがくるくらいだった。日本一になった時も仙台は本当に盛り上がったし勇気づけられたよ。

2011/4/29 楽天・嶋基宏選手会長から被災者へのメッセージ - YouTube

 

震災のもっと後

大学は仙台だったのですが、被災地に対して何かするということもなく過ごしていました。今思うとどこか目を逸らしている部分があったのだと思います。

2年生の春休みも終わろうかという日、 唐突に思い立ったんですよね「海を見に行こう!」って。仙台市って海にも面していて、自転車で仙台港まで行けるなってくらいの気持ちで出発しました。そんな遠くもないのですぐアウトレットのある仙台港あたりまではたどり着きました。この辺は震災後も何度か行っていたと思います。そこから海を見るためにほんの少しだけ自転車を走らせました。そしてたどり着いたのは仙台蒲生地区(のあたりだったと思います)。

復興は進んでるって話ばかり聞いてきたけど、あの辺りはそのまま時間が止まっていたかのようでした。その地域を復興させることがすべてではないし、他のところに移り住むのも選択肢だということはわかっています。それでもトラックがたくさん行きかっていたり、1階がむき出しになって、家具もそのままの家や、管理するための番号が振られていた農地があったりとかなりショックでした。震災から3年がたってやっと自分の目で見た被災地の光景でした。

それからもう少し経った2015年。女川に行ったときの話。駅や駅前の施設はピカピカの新しいもので、その周りが本当に何も残っていなかったのがはっきりわかるものでした。(航空写真を見てくれればわかる気がします)

f:id:kikuchiy1107:20190311210936p:plain

女川周辺のグーグルマップ

高台に多くの人が移り住んだという情報は見たけれど、それでも津波が駅前という人の営みがたくさんあった場所を文字通り根こそぎ流し去ってしまったという紛れもない事実はなかなか堪えました。

 

東日本大震災以外にもたくさんの災害は起きたけれど東北に生きていた身としては震災はやはり特別で、向き合って何かできるのか?というのはいつまでも僕の中で回っている問題で、何年たってもそれを強く思ってしまうのがこの3月11日だと思うし、そうでありたいと今の私は思っています。