飛浩隆『零號琴』 フリギア!とか言いつつなぜか唐突にプリズムショーの話をする感想

飛浩隆『零號琴』、各方面で話題になっているSF大作です。

なかなか説明しにくいところも多くてどこまでがネタバレなのかも難しい作品ですが感想を書いていきます。

 

あらすじ

物語ははるかな未来、首都全体に張り巡らされている楽器(!?)を500年ぶりに鳴らして劇を行おうという惑星が舞台。その劇は惑星の神話と大人気番組「フリギア!」シリーズを重ね合わせたものとなる。そう、フリギア。何かを感じた方、たぶんそれは正しい。もう少し紹介を続けましょう。フリギアに重ねあわされた神話の英雄5人のことを五聯(一応読みを書くと「ごれん」です)、そしてその劇は観客を含めて「假面(かめん、ですはい)」をつけて行われる。

というのが概要。いろいろ思い起こすものがあるとは思いますし、思わずニヤリとしてしまうようなフレーズとかリズムとか言葉選びが出てくるけど決してそのネタだけの作品じゃないのがこの小説。

 

どこがすごいか

この小説の、飛さんの作品の魅力について説明するためにそもそものSFというジャンルについての話を少し挟みます。

SFというと

・何か奇抜なアイデアがあってそれ一本で作品ができている

・壮大な物語があってその中心にあるキャラクターたちを大雑把に描く

みたいなイメージ持ってる方も多くいるような気がします。確かにそのようなSF小説は多いしそこが魅力ともいえる部分はあるけれど、「リアリティがない」などと表現されて敬遠される理由になっているようにも思います。

一見それを言っちゃあおしまいだよと思ってしまうような「リアリティがない」という声の裏には「説得力のある設定と流れを読ませろ!」ということが含まれていると思います。未来だから、とか新しい技術だから、で設定を組み込むのはいいいけどそれを登場させるに足る納得できる理由が欲しいと感じてしまうのです。

そのような観点で見たときに飛浩隆さんの作品はどうかというと、設定が本当に細やかなところまで描いている。もはやこの細部が本筋なのではないかというくらい新しい概念、それも読者の想像をはるかに超える概念を丁寧に説明、描写していく。それを退屈で冗長なものにしないような工夫も随所に見られてとても楽しい。

フリギアも(読者と劇中の人どちらにとっても)みんなが知っている内容とみんなが無意識のうちに様々な物語を通して知っていて、そして捕らわれている神話を組み合わせることで全く新たな物語を生み出すという意味として役割をはたしていて面白い。

まさに奇抜で壮大な物語なんだけどメチャクチャ丁寧な描写と世界観の構築がこの作品の大きな魅力の一つだと思います。

 

唐突な話題転換(と多少のネタバレ)

…で、ぼくはプリキュアほぼ見たことないんでプリキュアとの類似性についてはあまり語れることはないんですが、この小説を読んだ後感想をどうまとめようかと頭の片隅で考えながらアニメを見ていたら思ってしまったんですよ。

「ひょっとしてあの小説に近いのはプリズムショーなんじゃね?????」と。

フリギアそれぞれのシリーズのキャラクターが登場して神話中の存在である五聯を演じ、過去のシリーズの話をふまえながら新たな物語が紡ぎだされていきます。さらにフリギアシリーズにはあまり表には出てこないものの共通の黒幕の姿が。

一方でプリズムショーというのは僕が最近やたら呟いているやつなんですが、超簡単に言うとフィギュアスケートにめちゃくちゃすごいジャンプが入ってきたやつ」です。

例えばこれ。

youtu.be

これだけ見てもなんのこっちゃって話もあるんですけど、これまでのシリーズを追っているとジャンプや演出は過去のシリーズで出てきている場合もあり、それぞれの意味が分かることで新しい文脈で解釈されうることが示されます。それと同時にシリーズに共通している乗り越えるべきもの(家族、恋愛、友情などなど)の存在も見えてくるのがこのショーにおけるジャンプです。

このショーが演じているスタァの想像力から生まれ、画面を通して時には応援上映という形式で観客の間で物語に入り込み、共有していく私たちの姿は、假面を通して劇作家の作った壮大な物語を見るこの小説の劇に共通するものが多いように感じます(特にプリリズDMFの最後とか)。

双方のショーは様々な物語を乗り越えて、世界の真理に向かって進んでいきます。『零號琴』における描写は映像で表すのは不可能なんじゃないかと思うくらい文字からあらゆる響きが聞こえてくるし、プリズムショーは文字では語れないんじゃないかと思うくらいの表現の多彩さと繊細さがあります。

 

想像力をあらんかぎり使わされ、どんどん拡張されていくのを感じられる『零號琴』とプリズムショーをよろしくお願いします!!