シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の感想なんだからネタバレしか無いよ

シンエヴァの感想をつらつらと書いていこうかなと思います

まず最初から言い訳となってしまい申し訳ないけどエヴァに関する知識は新劇をさらっと見たのと、太古の昔に漫画版を読んだくらいなので、認識や知識に関して明確な間違いとかあると思うのでその時は教えてくれるか温かい目で見ていただけると幸いです。

 

すごく大雑把な感想

さて、まず今回の作品を一言で言い表すとすると長年解釈を捏ね回してきたオタクへの福音とも言えるような内容だなと思いました。「オタク」という言葉の持つ意味のあらゆる側面を作り上げてきたくらいの社会現象となった作品の締めくくりにふさわしい作品だったと思います。

 

新劇場版4部作について

僕の勝手な妄想として、各作品はシンジくんの発達段階で分けられていると感じました。親に流され続ける児童期くらいの序、恋愛とか反抗が出てくる思春期の破、モラトリアムのQ、社会人としてのシンという感じです。特に破からQについては、破の最後にとった行動が一般の人でいう進路選択で、Qはその進路選択によって生まれた環境変化に流され、思い悩むという感じで捉えました。破によるシンジくんの社会を知らないまま下した一つの決断(≒エヴァに乗る)によって、その決断に見合った人間になることを社会から求められている。みたいなことを、進路選びから就活までやった自分の記憶と比べながら見ていました。

3本の槍

終盤の戦いの中心となるカシウスとロンギヌス、そしてガイアスの3本の槍。何かしらの意味があると思っていろいろ考えちゃいました。カシウスとロンギヌスに関してはいまいち考えはまとまらなかったのですがとにかくゲンドウが自分のすべてを構成している(それで完結している)と考えている2つのものなのかなあというふうに思いました。それで自身と妻、音楽と知識など色々当てはめてみたけどかたまってはいません。一方ガイアスの槍についてはマリとミサトがもたらしたという立場の人間が、その歩みの末にもたらした事を踏まえて、他者を象徴しているんじゃないかなあと想像しました。

シンジくんの認知の世界

マイナス宇宙によるシンジくんの認知の世界の描き方がとても面白いなあと思いました。ウルトラマンの戦闘場所のような東京の街並みは、ビルなどがおもちゃのように現実感なく飛ばされていました(本来なら土台が残ったり破片が吹き飛んだりするはず)。ミサトさんの部屋は映画のセットのようになっていて、このへんの認識はゲンドウの独白で語られていたような認識と共通する部分を感じました。そして第三村は実際の被害を想像して荒らされるし、何より土も荒れるんですよね。シンジくんがどのように世界と向き合い触れてきたかということが感じられるシーンのように思いました。

子どもたち

シンジ、レイ、アスカ、カヲル、マリにはどんな意味(役割)があったのだろうかということも考えていました。僕はシンジくんを中心にそれぞれの愛の形、というまとめ方をしました。レイには母の愛、マリは他者としての(いわゆる普通の恋愛としての)愛、カヲルについては自己への愛(もしかしたら親友とかそっちかも知れないけど)、…とここまでまとめてアスカはどういう存在なのかとわからなくなりました。幼なじみとか兄弟かなあ…と多少無理があるかも知れないけど自分の中で整理しました。

 

その他のつぶやき

・そっくりさんと呼ぶ優しさ

無理に名付けたり綾波レイとしては絶対に呼ぼうとしないシンジも含めた周りの人の暖かさを感じました。

無人在来線爆弾の代わりに戦艦かよ 

エッフェル塔持つとか富士山にひっかかるとか特撮ではできなそうなことやっちゃおwみたいな感じがして好きです

サードインパクト以降のインパク

ゲンドウの望みが実現した世界はどんな風になる予定だったんだろう。理解が追いつけなかったところなので何回も見れば読み解けそうな内容ではあるとおもってます。

ミサトさん~~

ミサトさんが大人として責任を負う姿、エヴァでは見られない大人の姿なのかなあと思っていたからちょっと驚きました。

 

社会現象となったことで誰もが想像のしないようなコンテンツとなってこの作品に至ったエヴァンゲリオン。たくさんの人に見られて真剣に向き合って考察されたからこそそれに応えて生まれた、後にも先にもない幸福な作品だと思います(もちろん作り手の情熱の賜物であるんですが)。そんな幸福な作品がこれからも生まれることを願いたいなあと思いながら長ったらしい感想の締めにします。