FGO2部4章ユガ・クシェートラ感想前編!カルナとアルジュナが目指した境地とは

FGO2部4章クリアしました~

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早速感想書いていこうと思います。いろいろ語りたいことがたくさん出てきているのでとりあえず前編ということにしてもらってカルナとアルジュナガネーシャについてです。もちろんネタバレ全開です。

・カルナとアルジュナについて

 まあとにかくこれ抜きでは語れないアルジュナとカルナの最終対決において、最終的に決め手となったのが、他者存在を取り込んで完全になったと思い込んでいたアルジュナのあり方そのものの不完全さであったところはとても面白い。

岩波文庫の上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』によると

アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地にあると言われる。

とある。また、平等の境地という言葉についての注釈として

「平等の境地」は、決定を性とする知性により到達される、一切を同一のものと見る超越的な状態である。

となっている。そもそも『バガヴァッド・ギーター』は『マハーバーラタ』においてカルナらとの決戦の戦場で自分のやるべきことを見失ったアルジュナに対してクリシュナ(FGOで言われる黒のものとは別の彼の親友としての超越者のような存在)が解脱に向けて為すべきことについて説いた部分のことです。それを聞いてかれは戦いを決意するわけです。

 この平等の境地に至れなかった姿、カルナを特別な存在と認めてしまう姿では超越的なものとはなり得ない。

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まさにこのシーンは彼が完全な神として至れなかったことを示していると思う。そして彼が神ではないと疑った瞬間にこそ彼が目指すべき姿に近づいているというのが面白い。そしてその姿が本来のクリシュナが、そして宿敵であるカルナが求めた姿であるということがまたすごい。

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ここめっちゃ好き

『バガヴァッド・ギーター』は完全な存在を目指すことを求める話ではない。それではなく私たちのような存在でもどのような役割を果たすべきかを説いた話であると思う。そのことも踏まえてみるとより味わい深い話だった。

それからカルナがシャドウボーダーを救ったシーンについて、カルナのwikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8A

の「悲劇の英雄」の部分を読むと、

クシャトリヤを深く憎むパラシュラーマの逆鱗に触れ、呪いを受けた。パラシュラーマの呪いは、カルナに匹敵する敵対者が現れ、絶命の危機が訪れたとき、授けた奥義を思い出せなくなるというものだった。バラモンの飼う牛を誤って殺してしまい、緊急の際に戦車が動かなくなる呪いも受けた。

とある。また、

中でも彼にとって最大の不運だったのは、戦争直前、アルジュナに勝利を与えようとするインドラ神の策略によって黄金の鎧を喪失したことであった。

とある。この彼の受けた悲劇、無念ををどちらも晴らしたのがあのシーンなのかと感じた。原作までいろいろ触れたくなりますね。

 

ガネーシャのひきこもりが僕らに教えてくれたこと

カルナとアルジュナの掛け合いやキャプテンとラクシュミー、主人公とペペなど対話の大切さを感じることができるのも今章の特徴であると思う。コミュニケーション能力が高いとかなんとか言っても人と人の交流はとても不完全だが、だからこそ意味があるものなのだと感じることができた。

その一方で完全なコミュニケーションとなり得るものがあるとすれば、それは完全な存在への祈りに他ならない。その祈りにも大きな意味があることを、特定の宗教がない僕たちにも分かりやすく示したのがガネーシャだと思う。

 無限にも近いような時間をたった1人で引きこもり続けた彼女を支えたのはなんだったのか。それは紛れもないカルナの存在だった。存在と書いたけれどカルナはすでに一般的には存在していないといわれる状態になっている。そんな彼が過去存在していたこと、そしていつかどこかで(というのが果てしない先のことだとしても)また巡り逢えると信じていたことで彼女もまた存在し続けた。彼女の思いはまさに祈りであったと思うし、祈りがもたらす意味を見せてくれた場面であったと思う。

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これがオタクの目指すべき姿か…

ところでガネーシャはゲームでは飽きてしまっていたけれど、これはゲームが劣っているわけでなく、人間の時間感覚で楽しむものとしてはとても良いものだけど、それを超越した時間の上で縋るものとして存在し続けるものとして耐えうるのは祈りだけであるという区分、在り方の問題だと思います。

 

 

とりあえずの総括

同じく岩波文庫の『バガヴァッド・ギーター』における上村勝彦さんによる前書きには

マハーバーラタ』は人間存在の虚しさを説いた作品である。(中略)しかし、作中人物たちは、自らに課せられた過酷な運命に耐え、激しい情熱と強い意志をもって、自己の義務を遂行する。この世に生まれたからには、定められた行為に専心する。これこそ『ギーター』の教えるところでもある。

とある。このテーマをうまく踏襲しながら神々の戦いとそこに生きた人をうまく組み合わせて語らせることで非常に発見と感動がある章であったと思う。

 

まだラクシュミーとかキャプテンとかアシュヴァッターマンとか語りたいキャラと場面がほんとにたくさんあるからできるだけ早く後編も出せたらなって思います。