概念となった悪役の物語は続く ジョーカー感想

 ジョーカー、すごい映画でした。きわめて多くの人が見た(見る)作品だと思うんですが、それぞれの人がどんな感想を抱くのかこんなにも気になる映画はないように思います。感想書いていく上で、この映画のネタバレがどのラインなのか全然判別つかないので「詳しくは書かないけど内容を触る程度」という感じにします。まだ見てない人が読んでもいいようにはしているはずです。

 

作品全体について

 恥ずかしい話ジョーカーのことほぼなんも知らない感じで話題になってるから観に行った感じです。ダークナイトが伝説的な扱いをされてるからいつか見たいとか思いつつ見てない感じです。ネタバレとかは見てなくて何となくの感想をTwitterでチラ見していた程度なんですがそこから連想されるイメージの通りの作品だったように思います。ストーリーを一言で説明するとアーサーという男が社会から排除されていく過程を経てヴィランであるジョーカーに変貌していく話です。

 意外なことが起こらないとは言ったもののスクリーンの中では十分異常といえることが起こっているのですが、このことをすでに特別な出来事だと感じられないようになっている点で驚くべき作品だし時代にガッツリ合わせて作られた作品であったと感じました。

ジョーカーという人間について

 この作品はジョーカーの見せ方があまりにも上手いなと思いました。キャラクターを魅力的に描く、面白く描くことは星の数ほど試みられてきたことですが、この作品では笑えない、醜いキャラクターを主人公とするというすさまじいことに挑戦しているわけで、しかもそれが本当に完成されている。見事なほどに笑えないユーモアで、滑り笑いすら起きない、明らかにそこまで計算されて演じられている作品なのです。アーサーは道化であり笑わせることを望みながらも、自分の人生を笑われることは決して許しませんでした。「人生は喜劇」というふうなセリフが出てきましたがここで『人間失格』を思い出す人もそこそこいたんじゃないかなと思ったり思わなかったり。『人間失格』の道化との比較も面白いなと思います。

 一方でアーサーは同じように踏みつけられ、ののしられ、嘲笑されてきた人とその人生には共感し、同情していました。ジョーカーは炎上と共感の極端な二極化が生み出したものにも思えるのです。

 

どこが彼の物語の終わりなのか

 物語は実際に起こっていることとアーサー(かどうかも定かではない)の妄想とが混在して曖昧なまま進んでいきます。この映画の印象的なシーンとして物語の区切りにジョーカーが踊るシーンがいくつかあります。どれも本当に美しいシーンです。

 僕はあのダンスシーンのどれも映画のラストととらえることもできると思っているんですよね。どの場面なら彼の人生とゴッサムシティをまだましな感じでとどめられたのか。それを実現させるにはどんな福祉、やセーフティネットがあれば良かったのか…我々に公開と考える余地を沢山ぶつけてきますます。そして恐ろしいことにダンスはまだ終わっていないんですよね。。。

 ジョーカーとして拡散されたミームの起こした様々な結果の責任はどこにあるのかというのも現代に直結する考えがいのある問題だと思います。裁判になればそれぞれの加害者の罪になるし、マスコミやSNSからしたらアーサーが「諸悪の根源」となるだろうと思います。そしてこの映画を見た人は社会に対する憤りを感じるかもしれないし、もっと他の人にも責任があることを認めるかもしれません。そういう深みを残した問題提起ととらえるのも面白いと思います。この面でもジョーカーの物語は終わっていないのです。

 

なんか積極的に勧めるのも違うかなと思いつつすごい作品だと思いますので興味がある方は是非どうぞ。