変わりゆく人生と絵画を見つめる 東京ステーションギャラリー 岸田劉生展感想

 東京ステーションギャラリー岸田劉生展行ってきました。僕は好きな画家を1人あげろって言われたら岸田劉生って答えるくらい好きで、だいぶ前から楽しみにしてた回顧展でした。

 好きな絵のどんなところが好きなのかと聞かれるとそれを言葉にするのは難しいなといつも考えているし、それはこの岸田劉生についても例外ではありません。その魅力を少しでも言葉にするために赴いたという面もありました。

 この展示は年代順で区切られていて、38歳で亡くなった彼の画業の変遷を追っていく形になっています。このオーソドックスともいえる年代順の展示がこんなにもハマる画家はいるのかと思うくらい年代ごとの彼の変化は彼自身の人生も大いに反映されており劇的で面白かったです。

 まず初期、印象派黒田清輝を思わせる絵を描いています。

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薄暮之海》(1907)

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参考 黒田清輝 《湖畔》1897年

その後に描いたゴッホらの影響を思わせる鮮やかな色調の彼の絵は、豪快さ感じさせつつも一筆一筆の意味を考えながら描いた繊細さを感じさせる作品に感じました。

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《銀座と数寄屋橋畔》(1910-1911)

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参考 ゴッホタンギー爺さん》(1887)

 その後狂ったように肖像画を描いて「首狩り」とまで言われた彼は、ゴッホらの手法から離れて落ち着いた色合いの写実的な肖像画を指向するようになります。この手法はゴッホより以前の時代の印象派へと逆行するような行為と言われながらも彼は自分のやり方を貫きます。クラシックの模倣ではなく自己のやりたいことがクラシックと重なったという彼の考え方には過去から学ぶことと変化に対して柔軟に受容する姿が見て取れます。このころ彼が結婚して人間の顔や人間そのものへの興味が出ていたという公私混同というか人生がそのまま絵に反映されているのも彼の柔軟性が見せるところだと思います。

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バーナード・リーチ像》(1913)

それから彼が次に向かったのは風景画と静物画でした。そこに人はいません。これは大きな転換のように聞こえますが、彼の絵には人間への思いが変わらず強く残っているのです。例えば僕が一番好きな絵である切通之写生を見てみましょう。

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切通之写生》(1915)

 彼の代表作でもあるこの絵は確かに人はいないものの土とはいえ整備された道、白い壁、そして下側を横切る電柱と思われる影と人間の営みを思い起こされるものです。そして光の描き方とか色合いなどこれまで書いてきた肖像画のテイストも活かしているように思えます。

 静物画では、例えば林檎が並んでいる絵について「リンゴが並んでいるのは人の手によるものに他ならない」と考えていたわけです。当たり前みたいな話ですが、確かに人間の手無しでは林檎は林檎の木の近くにしか存在しえないわけです。そんな人間を描かないことで人間の実在について描いていたのが当時の彼だったわけです。

 そこから先彼の興味は東洋画、古美術、日本画にまで及んでいきます。彼の代名詞ともいうべき娘の麗子像は彼の私生活の変化が絵にももたらされている代表例です。麗子像はどうしても怖いイメージがついている気がしますが、下の絵のように娘の機嫌が良かったのでやわらかなタッチで描いたなどというようなエピソードもあって同じモデルでも様々な絵が描かれて行きます。

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《麗子八歳洋装之図》(1921)

 風景画に麗子が小さく描かれるようになるのも彼の変化を思わせて面白かったです。西洋の美術が流行の先端にあり、東洋美術の存亡すら怪しかった時期に東洋美術の魅力を見出していたところも特筆すべきところでしょう。

 

 流行に流されずに自分のいいと思ったものの良さを追求して自分のものとしていくことで自分らしさを発揮していく彼の生き方は僕が目標にしたい姿でもあり、そうした彼の人生を感じられるような今回の展示はとても素敵だったと思います。10月20日までやってます(ちなみに前後期で多少の入れ替えもあります。)。東京駅の中にあるので行きやすいと思いますので是非寄ってみてください。